煮干しの一押しVOCALOID曲

VOCALOIDの話題や気になった事を書こうと思います

再出発を促すVOCALOID曲

 

 こんにちは こんばんは 煮干しです

 

 岸田首相がアメリカに訪問し、バイデン大統領と首脳会談をして、今後の日米関係を一歩進んだ形、グローバルパートナーへと進む方向に決まりましたね。かつてない緊密な自衛隊と米軍の連携、中国からの圧力を緊密に共同で対応、中東の安定化への日米で積極的関与、関係国と共にサプライチェーンの強靭化、宇宙分野での協力を一層推進、人的交流を更に促進、などなどかなり一体化を目指す踏み込んだ内容になっております。内容を見るに、日本が責任を果たさないといけない事が大幅に増える事は明白で、現在進行中の増税コンボはこの為なのかなと感じましたね。あと、岸田首相が北朝鮮との会談を打診をしたのは、今回の事を念頭に入れた行動だったんですね・・・、かつてない程の緊密な日米同盟を背景による交渉によって、かの国が軟化するかは未知数ですが、上手く行って欲しいと願うばかりです。

 

今回のお品書きになります

 

 

 

煮干しのお送りするちょっとした物語

 

まず始めに、この物語はフィクションです。物語の中に登場する個人名、団体名、会社名は架空の物であり実在する個人、団体、会社とは関係ありません。

 



 

 「これで明日の個展の準備はよしっと」と私は呟き、様々な写真が展示されている中で、目の前にある巨大な写真を眺めた。その写真は山から見下ろす様に撮られ、写真上部にギラギラと輝く太陽から降り注ぐ光が麓の街並みを照らし、周囲には黒くて分厚い雲が囲み異彩を放っている。おもむろに私はその写真をガラス越しに優しく触った。ようやく撮れた・・・、私はこの写真を撮るために命を懸けたのだ。自身に写真に感慨深い思いを抱きつつ、ガラスに残った私の指紋を丁寧に拭く。名残惜しいが明日のために休まなくはならない、当日は来場者に対して接客をしなければいけないのだ。私は展示コーナーの出入り口に向かい照明を消して、後ろ髪を引かれる感じでフロントロビーに向かう。フロントロビーに入ると、正面に見える大きなガラス越しの先で、帰宅途中のサラリーマンやOLがいそいそと歩くのが見え、日はすっかり落ちているの分かる。朝からの作業だったが初の個人展という事もあり時間の経つのを忘れるほど張り切ってしまった。大理石が敷き詰められたフロントロビーを私は革靴で小気味良い音を鳴らしながら歩き、豪華な調度品や並べられたソファーの奥に見える受付カウンターを見ると、シックなスーツを着こなした紳士が何やら作業をしている。彼は鈴鹿画廊のマネージャーである清水さんだ。今回の個展は彼からの誘いで実現が出来た。「清水さんお疲れ様です」と私は清水さんに声を掛ける。清水さんは私の声に反応して、「ああw、お疲れ様です、もう準備は万端ですか?、私で良ければお手伝いしましょうか?」と気さくに清水さんは私に返す。私は手を横に振り、「いえw、もう大丈夫です、準備万端ですから帰らせてもらいます」と私は清水さんに手伝いはいらない事を伝え、最後は帰ることを言う。清水さんは笑顔で、「そうですか、本番当日は緊張でパニックにならない様に気を付けて下さい、以前に当画廊で写真展をした方が来場客の予想外の質問に答えることが出来ずパニックになった事があって、その時はフォローに苦労しましたよw」と私に冗談ぽくっ釘を刺す。私は苦笑いをして、「ははは・・・、そうならない様に善処します」と応えた。フォトグラファーという人種は日常的に、己と向き合い孤独な毎日を過ごす。自身の持っているセンスを信じ、感動を呼び起こす写真を撮るためにあちらこちらと出掛け、自宅に帰るとパソコンに向かい編集作業をして、反省点や光明を見つける。そんな日々になると、人との接触が極端に減り、気が付くとコミュニケーション能力が皆無になる訳で、清水さんの話に出た者もそんな一人だと私には痛い程分かった。私は幸い、フォトグラファーとメインの食い扶持である営業職の二足の草鞋を履いていたお陰でその心配はなさそうだが、普段とは違う事に戸惑う事もあると予想されので、今日は早めに床に就こうと思う。「じゃあ、今日はこれでお先に失礼します、明日はよろしくお願いします」と私は清水さんに帰宅する事を告げる。清水さんは立ち上がり、「はい、お疲れ様です、個展の成功をお祈りいたします」と深々とお辞儀をした。清水さんのお辞儀を見届けた私は軽く会釈をして、私はアート画廊鈴鹿を後にし、駅に向かう。明日は私の写真個人展が開かれる。つまりそれは、プロとしての初日、仕事も辞めたので背水の陣で挑まなければならない。写真で食えるのはほんの一部のプロのみ、客観的に見てもリスキーではあるが、不思議と葛藤も恐怖も抱く事は無かった。私をそんな心構えにさせ、一歩前に進ませたのは、あの写真のお陰だ。先ほど指先で振れた風景写真が今のステージに私を立たせた。思いふけて歩いているといつの間にか駅に着く。だが、構内は人だかりが出来ていて、電車が踏切の故障による遅延を報せる放送が流れてる。この感じだと復旧までかなり時間がかかりそうだ。私は適当なベンチを見つけてそこに座り、時間を潰す事にした。ベンチに座りながら駅員に食って掛かる者たちを横目に、私はそう言えば、あそこはこんなに混雑してなく良かったなと思い出す。あそことは風景写真の撮影場所、龍舞町(りゅうまいちょう)の事だ。駅員と乗客の言い合いに嫌気がさし、私は数か月前に事に想いを馳せることにした。

 

 「個人展覧会をうちでしませんか?」、それが事の発端だった。私は仕事の片手間に、写真で小遣い稼ぎをしていて、依頼された写真を編集部に届けた時の事だ。いつもの様になり止まない電話と編集者同士の会話が起こす喧噪の中を歩き抜け、担当編集者に挨拶がてら依頼の写真データを手渡すために伺うと、担当編集者の藤堂さん並びに見知らぬシックなスーツを着こなしている男がいた。私はその男に軽く会釈をすると、「藤堂さん、依頼された写真データをお持ち致しました」と写真データが入ったSDカードを差し出す。 藤堂さんは差し出されたSDカードを受け取り、「ご苦労さん、チェックは後日にするから、今日は桜井君に紹介したい人がいるんだ」とシックなスーツをした男に手で指し示すと、シックなスーツを着た男は深々とお辞儀をして、「初めまして、鈴鹿画廊マネージャー、清水と申します」と名刺を私に差し出す。私は反射的にお辞儀を返しながら、怪訝な表情で名刺を受け取り、名刺と清水さんを交互に見て、「はあ、私にどの様なご要件でしょうか?」と尋ねる。清水さんはニコリと笑い、「実はですね、藤堂さんから桜井さんの写真を数点ほど拝見させてもらい、当画廊で展覧会をしてみたいと思い立ったものですから」と答えた。私はすかさず、「数人の写真家でやる合同展覧会ですか?」と神妙な顔つきになる。清水さんは首を横に振り、「いえ、違います、桜井さん単独の展覧会です。」とにわかに信じられない事を言う。私は写真のコンクールで賞を数回取った程度の男、ライバルから抜きん出ているとは到底思えない。そんな私に個人展覧会の打診なんて、裏があると怪しんでしまうのは当然の帰結だった。実際よくあるのだ、クリエイターが展覧会の打診をされて意気揚々と張り切ると、実際はただの場所代稼ぎが目当てという展開。展覧会に来場者が少なくても、クリエイターにきっちり費用の請求をして、画廊側はノーリスクという奴だ。残念ながら、駆け出しや実力不足のクリエイターを食い物にする画廊は確実に存在していて、よいしょされ調子乗ったクリエイターたちが借金を作り、泣く羽目になった案件を私は山ほど知っている。私は慎重に言葉を選び、「あの、私は正式なプロではなく、仕事の片手間に小遣い稼ぎをするケチな存在です、そちらの画廊で行う展覧会の場所代を稼ぐのは無理です」と辞退を清水さんに伝えた。清水さんは慌てて、「当画廊はあなたが考える様な営業をしていません、あなたが写真家として次のレベルに押し上げるお手伝いをしたいのです、もし、展覧会をして貰えるなら場所代は一切請求致しません、チケットはこちらで発行させていただき、そちらの利益だけは頂戴させて貰います」と私の邪推を否定して、驚きの条件を提示。私は驚きのあまり目を見開き、「本当ですか?、場所代はいらない・・・?」と言う。清水さんは頷き、「はい、致しません、ただ、条件があります」と真剣なまなざしを私に向ける。私はゴクリと生唾を飲み込み、「条件とは・・・何でしょう?」と返す。清水さんは静かに口を開き、「条件は展覧会を想定した写真を50点、代表作を1点を用意してもらい、当画廊の審査を受けて貰いたいのです」と条件を提示した。50点の写真はテーマを決めれば恐らく苦戦はせず出来るだろう・・・、しかし代表作となればかなり難しい・・・。名だたる写真家には代表作が必ずある。その代表作によって運命が決定づけられと言っても過言ではないのだ。代表作・・・代表作と、頭の中で反芻している所に、笑った父の顔が浮かぶ。私は意を決して、「その条件を飲みます、是非やらせてください」と清水さんに言う。清水さんは俺の答えに微笑み、「やってくれますか!、ありがとうございます、期間はそちらの都合で良いので、出来上がったら拝見させてもらいます」と私の手を握る。今まで静観をしていた藤堂さんは、「おっw、いよいよ本格的プロデビューか?、これから桜井君に外注する時は先生を呼ばないといけないかなw」と冗談を言いながら笑う。私は顔を赤くして、「よしてくださいよw、まだ展覧会を開けると決まった訳じゃないですよw」と必死に謙遜を決め込んだ。

 

 

 そして、翌週の休日から私は審査用の撮影に臨む。50点の写真の方は、都市夜景をテーマにしたら驚くほど捗る。有名なスポット、私だけが知っているマイナーなスポットそれ等を渡り歩き何とか確保が出来た。後は代表作だけだが・・・。実はもう、構想は決まっていた。今まで避けていたが、これを乗り越えなければ私は前に進めないと感じて決めたのだ。猛暑が激しい8月、今まで溜まりに溜まった有休を消化して私は片田舎に走る二両編成の鈍行列車に乗っていた。車窓から見える稲穂は黄金色に輝きながら波打ち、収穫の時期がもう直ぐ来ることが分かる。更に鈍行列車に揺られること数時間、「まもなく龍舞町、龍舞町でございます、降りる際は足元にお気を付けください」と車内放送が流れた。私はその放送を聞くと立ち上がりドアの前に立つ。電車が緩やかに駅のホームに侵入し止まると、ドアが開き、私は颯爽と降りてひなびた駅に不釣り合いな自動改札口を通り抜け、昭和レトロな街並みが私を出迎える。所々にシャッターが下りている所が見受けられるが、そこそこ賑わっているた。ここは龍舞町、おおよそ4万人ほどの人口がある田舎町だ。この特に特徴も無い町だが、実はある特異な自然現象が起きる事で知られている。龍舞町は古来から台風が通るルートと知られ、龍舞町上空を必ず通った。そして、台風が纏った渦巻き状の雲が龍舞町付近になると下降をし始め、遂には龍舞町上空で数時間停滞するのだ。その特異な気象現象のメカニズムは未だに解明されておらず、気象学者たちも頭を捻っていた。私はその特異な気象現象を山頂から撮影を臨み、出来上がった写真を代表作と位置づけようとしているのだ。恐らくかなり危険な撮影になる、だが、この写真を撮らなければ前に進めない・・・。不退転の決意を胸に私は駅前に待機しているタクシーに乗り込み予め予約している旅館に向かう。タクシーが数分走ると、大きい日本家屋が現れ止まる。私はタクシーを降り、両脇に立派な松が生えている石畳を歩き進むと、大きい提灯が両脇に垂れ下がる玄関の前で、竹ぼうきを使い掃除している年配の和服を着た女性を目撃。和服の女性は私の存在に気が付き、「あら、お客様ようこそ!、どうも、私は当旅館の女将です、お荷物をお持ち致します、ささ、ご案内差し上げますので、どうぞ」と私の荷物を強引に取り旅館へと誘うする。だが、荷物のあまりの重さによろけ、私は咄嗟に自身の荷物を持ち女将さんがこけるのを阻止した。女将さんは顔を赤くして、「す、すいません、あまりの重さによろけてしまいましたw」とペコペコ頭を下げる。私は少し焦りながら、「あっ、大丈夫ですので、気にしないでくださいw」と問題ない事を伝えた。危なかった・・・、荷物には撮影機材が入っていて多少の衝撃は問題ないが・・・、大事な撮影の前にトラブルは御免だ。私の言葉に気を取り直した女将さんは、改めて旅館のフロントへと案内を開始。フロントに着くと待機をしていた旅館の職員が丁寧なお辞儀をして、「ようこそ、龍舞旅館へ、ご予約のお客様ですか?」と予約の有無を尋ね、女将は私の隣で待機した。私はすかさず、「はい、予約した桜井です」と答えた。旅館の職員は、「ありがとうございます、お調べするので少々お待ちください」と旅館の職員が背を向けて棚から宿帳を取り出し調べ始める。私はその間、旅館のフロントロビーを見回すと、幼少の頃に見た風景と現在の風景が重なりノスタルジックな想いが浮かぶ。懐かしい・・・、幼少の頃に来たままだ・・・、女将さんは若干、お年を召されているが、変わっていない。私はこの旅館に来た事がある。平成10年頃、父の連れられてこの旅館に来た。父は写真屋の傍ら、フォトグラファーとして活動をしていて、兼ねてから狙っていた景色を撮る目的だった・・・そう、私がこれから臨む山頂からの台風の目を撮るためだ。私を同行させたのは、父一人子一人の環境で、幼少の自分を家に一人で留守番させるわけにも行かず、止むに止まれずの選択だった。翌日、父は旅館に私を残し、撮影に臨む。しかし、予定の時間になっても父は帰って来ない・・・。一人寂しく父の帰り待つ私を不憫と思った女将さんが、かいがいしく面倒を見てくれたのを今でも鮮明に覚えている。結局、地元の消防団の懸命の捜索をしたが父は見つからず、行方不明状態になった。その後、私は親戚の養子となって、7年後には法的に父が死亡認定され鬼籍に入り、18歳を迎えると上京し、仕事を数度転職を経て今の生活に落ち着く。

 

 懐かしい風景によりノスタルジーに浸っている私に突如、「桜井様、桜井様!」と何者かの声でハッとする。私は声の主の方を見ると、旅館の職員が不思議そうな顔をして私を伺っていた。私は咳ばらいをし、「あ、すいません、何でしょう?」と言う。旅館の職員は首を傾げつつも気を取り直し、「桜井様の予約は確認を取りました、当旅館の女将が案内します」と私の隣にいる女将を指し示す。すると、女将さんは笑顔で、「こちらへどうぞ」と案内を開始。私は女将さんの後に続くと、二階の端にある部屋に案内する。女将さんに続き部屋に入ると、外観で想像も付かない洋室でベット完備の部屋に、「あれっ?、洋室?」と思わず声を上げた。女将さんはテーブルにお茶菓子とお茶を置きつつ、「お客様、予約の際に部屋の内容を確認なさいませんでしたか?、若干部屋に余裕がありますので和室に変えましょうか?」と提案をしてくる。私は少し戸惑いながら、「いや・・・、大丈夫です、洋室で結構です」と問題ない事を伝えた。女将さんはニッコリと笑い、「左様ですか、それでは当旅館の説明をいたします、大浴場は深夜1時まで、お夕食は夜の7時お持ち致しますのでよろしくお願いします」と説明。私は頷き、「分かりました、ありがとうございます」と礼を述べた。女将さんは、「では、何かありあましたらそちらの内線でフロントの方へご連絡お願いします」と深々とお辞儀をして部屋を出ると同時に、私は荷物を置き、ベッドに横たわり天井を見ながらため息を付く。予想外だったな・・・、てっきり和室を想像していたから、挙動不審な態度をしてしまった・・・などと反省しつつ、私は両手でベッドの感触を確かめた。数分後、私は意を決して起き上がり、スマホで天気予報を調べる。スマホに表示された天気図には台風のマークがあり、明後日にはここら辺を通過と予報されていた。よしっ、台風の進路に変化は無さそうだ・・・、計画通り明日に登山をして、山頂の気象観測所にて待機だ。私は知り合いの伝手を使い、大学側の無料撮影奉仕の条件を飲んで、山頂付近にある気象観測所を特別借りることに成功していた。2年という長期間奉仕になってしまっが、まあ、死ぬよりマシだ。私はスマホを置き、荷物のファスナーを開け、おもむろに三脚を取り出す。この三脚は、ハスラー社製のアルミ合金三脚。カーボン全盛期の現在でも頑固にアルミ合金に拘り、その堅牢さから来る安定感はプロの信頼が厚く、風景写真には欠かせない。私は三脚を伸ばしたり縮めたりをして動作チェックをする。どうやら問題無い様いようだ・・。私は三脚を畳み元の場所に入れると、今度は3本のレンズを見た。当日は一本のレンズで臨む予定だ。さて、どれにする・・・?。広角レンズにするか・・・、いや、広角レンズは幅広い景色を画角に納められる長所は、写り込む景色が何もかも縮み見た者の感動を薄くさせるデメリットがある・・・。なら望遠レンズか?・・・、ダメだ!、背景が圧縮して景色が台無しになる。私は残りのレンズに視線を移す。ジグマ社製のズームレンズ、30ー135mmクリエーション・・・。ジグマ社は元々、マタギさん達が使うライフルスコープレンズを制作する会社だったが、二代目の社長が突如、カメラのレンズに参入を表明。当初は弱小サードパーティレンズ会社だった。ところが、値段に対して驚くほどのコストパフォーマンスを発揮。瞬く間に愛好家を増やし、近年では独自規格のカメラを生産するまでになる。この目の前にある30ー135mmクリエーションは純正レンズを凌駕するとまで言われていて、それに加え光体制が高くゴーストやフレアが出難い事から、愛用している一本だ。更にマタギさん達のライフルスコープを制作していた会社だけあって、防水性と防塵性、頑強さもある。このレンズが最適な気がする・・・しかし、広角レンズも捨てがたい・・・。私が決めかねていると、風景写真は広い景色を意味もなく撮るべからず・・・、高校生時代、写真部の恩師の言葉が私の脳裏に浮かんだ。肉眼で見る景色をカメラのレンズに例えるとおおよそ、30ミリから50ミリと言われている。それを標準域と言い、その標準域で撮れば、肉眼で見る景色とおおよそ同じなので、写真を見る人は違和感を感じない効果が期待できるのだ。その特性から人を被写体としたポートレートに標準域がしばしば使われ、もちろん風景写真にも相性が良い。「ヨシッ決めた!」と私は思わず呟きジグマ社製のズームレンズ、30ー135mmクリエーションを手にした。そして、このレンズで標準域で撮影に臨もう・・・と決心して私はレンズを元に戻す。後は待つだけになった私は、大浴場に行き汗を流し、夕食の龍舞町名物、鯉シャブと甘露煮に舌鼓をして早めの就寝をした。

 

 翌朝、私は荷物のチェックをしていた。「カメラの予備バッテリー良し、スマホのモバイルバッテリ―良し、携帯食料良し、タオル良し、ガスコンロ良し、お米4号良し、レトルトカレー良し、携帯ランタン良し、水良し、非常食よし」と呟きながら慎重に荷物のチェックをする。一通りのチェックが済んだ私は、リュックのファスナーを閉めて最後は三脚が入った袋を固定し、それを背負い部屋を後にした。フロントロビーに着くと部屋の鍵を受け付けにいた旅館の職員に渡す、だが、受け取った旅館の職員は、「あの・・・桜井様・・・どちらへ?」と怪訝な目。嘘を言ってもしょうがないので、「これから登山をして、明日に来る台風を撮影したいと思います」と包み隠さず言う。すると、旅館の職員は慌てふためき、「いやいやいや!、無理ですって!、山頂の風の強さをあなたは知らない!、死にますよ?」と私を辞退する様に説得を開始をする。この流れは予想が出来ていた私は、「大丈夫です、台風の目がこの街の上空に来るまでは山頂付近にある気象観測所小屋に避難していますので」と鍵を見せた。旅館の職員は途端に先程の勢いを無くし、「まあ・・・、コンクリートで出来たあの建物なら大丈夫だと思いますが・・・」と口ごもる。彼がこれ以上私を引き留める事は無いと踏んだ私はお辞儀をして、「じゃあ、行ってきます」と旅館を出た。すると、後ろから駆け足で来る音がする。旅館の職員は息を切らせながら「はあ、はあ、待って下さい、あれを見て下さい」と指差す。私は彼の指さす方に視線を移すと瓦屋根に大人と同じ大きさの藁人形が括りつけてあった。私は驚きながら、「あれは?」と尋ねる。旅館の職員は息を整えて、「あれはこの地で古くから続けている風習、人柱藁供養(ひとばしらわらくよう)と言います、昔の人は台風の事を、天照大神から遣わされた龍の神楽舞だと思っていたんです、龍は水の恵みをこの地にもたらす代わりに、人をさらうと言われ、藁人形を屋根に括りそれで勘弁願おうというものです」と地元の風習を説明した。私は辺りを見渡し、周辺の瓦屋根には同じように藁人形が括りつけてある事を確認し、「初めて知りました・・・、そんな風習があったんですね・・・、藁で龍は満足するんですか?、実は草食系?」と思わず風習に突っ込みを入れてしまう。旅館の職員さんはフフッと笑い、「あの藁人形の中には果物やお米が詰めてあるんです、この土地の恵みの一部を天に返そうという事です、まあ、昔は鯉やらイノシシの肉をいれていたようですが、戦後になって、国の指導が入り衛生上、差し支えない米屋や果物になりました」とにやけながら言う。私は感心しながら、「へー大変ですね、これはいつまでやるんですか?と尋ねる。旅館の職員は、「お米の収穫が終わるまで、台風が来る度にやります、最近は高齢化が進み、大工さんが代行する感じですね」と答えた。この土地に何度も足を運んでほとんどを知った気でいたが、やはり地元の人間じゃないと分からない事があるのだな・・・。旅館の職員は真剣な目になり、「今でも町の大半は言い伝いを信じています、数十年前にあなたの様な写真を撮りに行った男性が行方不明になった時、龍にさらわれたって町中大騒ぎになったぐらいです・・・」と言う。父の事だ・・・、そんなに大騒ぎになっていたのか・・・。私は彼の真剣まなざしを受け止めながら、「わかりました、細心の注意を払って撮影に臨みます」と宣言。旅館の職員は、「気を付けて下さい、台風が去って無事なら旅館に直ぐに一報、更に無事下山したら一報を入れて下さいね、もしどちらか連絡が無かったら直ぐにでも消防団を連れて捜索をしますから」と念を押す様に言う。一応山岳保険に入っているが・・・、いや!、遭難を前提に考えてどうする!。私は真剣な顔で、「了解しました!、必ず一報をそちらに入れます」と約束を交わす。旅館の職員と別れを告げた私は目的の山の山道入り口までタクシーで向かう。タクシーの車内でもやはり、運転手さんが台風の怖さ、この土地の言い伝えを私に聞かせ警鐘を鳴らす。十分な対策を講じていると説明し、運転手さんから何とか解放され私は山道入り口の前に立った。

 

ーつづくー

 

 

356曲目の紹介

 

 

 今回ご紹介する曲は、マグネタイトさんが作詞、編曲 調声それぞれをC'Naさん雪乃イトさんびびさん達3人と共作し、イラストをあささん、映像をよしだなすびさんによるリアライズです。

 

 この辺が限界だろう、そんな自嘲気味の引き際を告げる心の声が本音と思い込んでいた・・・。だが、失敗を恐れ、あるいは傷つくのを恐れ、その実は理解するというよりは、想いに蓋をしていたようだ・・・。憧れ恋焦がれる想いが上へ目指せと声高に想いの蓋を叩きこんなにも胸が熱くなる!。私の本音は諦める事でなく、前を向いて突き進む事だ!、これが本当のスタート、いやリスタートだ!。

 

 本曲は、挫折による頓挫から未来へ再出発する再生と不屈の精神の歌を初音ミクさんが歌います。

 

 本曲の題名リアライズを和訳すると、悟、気が付く、理解するといった意味です。本曲の意味するところは、諦め切れない熱い想いを再認識するという意味合いがあると自分は考察しました。

 


www.youtube.com

 

 

 名だたなるクリエイター達が集結して生み出された本曲は、聴いていると感情の高ぶり何かにチャレンジしたくなりますね!。良い曲です!

 

 本曲、リアライズは失敗による停滞から再出発を歌う曲は、聴き手に何かにチャレンジしようと前へと突き動かす強い衝動を起こさせる素晴らしい力があると思います。もし、何かにチャレンジしようと躊躇している方、本動画を視聴して聴いてみて下さい、勇気を貰えると思いますよ!

 

お借りしたMMD 

Tda様より

Tda初音ミクV4XVer1.00

 

ニコニコ大百科様より

初音ミク

 

weblio様より

リアライズ