煮干しの一押しVOCALOID曲

VOCALOIDの話題や気になった事を書こうと思います

ディストピアな物語を民族調な曲で紡ぐVOCALOID曲

 

 こんにちは こんばんは 煮干しです

 

 桜の花が散ると共に気温がグングンと上がり、その変化について行けない自分に老化の兆しを感じながらも、暖房費が掛からなくなる事を喜ぶのも束の間、これから更に一段と暑くなると予報を聞いて戦々恐々としています。今年の夏はどの程度、暑くなるんですかね?、去年の猛暑には本当に死にかけましたので、クーラーを新調しようかと迷ってます・・・が、クーラーを新調するとなると大金が掛かりますよね?、増税増税インボイスのコンボで懐が寒くて二の足を踏んでしまいます。本格的に暑くなると、在庫不足になり、直ぐに取り換える事が出来なくなるので、6月までに判断したいと考えてますが・・・。

 

今回のお品書きになります

 

 

煮干しのお送りするちょっとした物語

 

まず始めに、この物語はフィクションです。物語の中に登場する個人名、団体名、会社名は架空の物であり実在する個人、団体、会社とは関係ありません。

 



 龍舞町を囲む山々の一つ、およそ標高700メートルの竜ヶ岳の山道をセミの鳴く声を聞きながら私は登っていた。真夏の真っ盛りである8月の気温は容赦なく私の体力を奪いさり、まだそんなに歩いてないにも関わらず、汗が滝の様に流れる。数十メートルおきに立ち止まり、水筒の水を飲みながらセミの鳴き声の中に時折聞こえる、「コココッ」とキツツキのドラミング音を耳にすると、不思議と爽やかな気持ちになった。水筒をしまい、私は再び歩き出す。本番は山頂に上ってから、こんな所で体力を使い果たしては意味が無い。撮影するための体力を温存しつつ山道を登る私の前に緑色の苔むしたお地蔵さんが現れた。簡素に作られたお地蔵さんには、どこぞの登山者が気まぐれにお供えした小銭が積まれている。私もその気まぐれ乗っかる事にして、懐から財布を取り出し、五円玉を置き手を合わせ、撮影の成功と無事下山できることを祈った。登山道にこの様なお地蔵さんがしばしば見受けられる。大抵は無縁仏などが葬られた名残りだったりする場所で、手を合わせてはいけないと風潮であるが、私はそのようなスピリチュアルな事にはとんと興味が無いので気にしない。再び歩みを始め、一時間ほどで頂上付近まで到達。私の目の前に登山道を横切る様に枯れた川の後の様な石や岩が無数に積まれた道が出現した。これは枯れた川ではなく、雨などが降ると出来る川で、もし無事に撮影が終える事が出来れば、下山中にその姿を拝めることが出来るであろう。川がなくとも石や岩がゴロゴロしている所は危険には変わりが無いので私は慎重に渡り突き進む。ようやく頂上に着いた私は撮影場所である崖っ際に行き、下から吹き付ける心地いい上昇気流に当たりながら背伸びをして麓を見下ろした。麓の景色は夏場の高温で晒された水田や稲の葉から蒸散された水分による霧で、やや白みがかってあまり鮮明に見れなかったが十分綺麗だった。深呼吸をした私は、コンクリートで固めら飾り気がない質素で武骨な気象観測所に向かう。気象観測所は重厚な鉄の折で補強した窓が数個に、入り口の鉄の扉には関係者以外は立ち入り禁止と記されていた。私はリュックから大学から借りた鍵を取り出し、早速中に入ろうと鍵を差し込んで回し、「ガチャっ」と鍵が開く音を合図にドアノブを回す。あまり人が立ち入らないのか、「ギギ、キキー」と不愉快な金属音をさせながら扉は開いた。精密機械が所狭しと並び、静かに稼働音を鳴らす、かび臭い部屋だと、私は勝手に想像していたが、何も無い殺風景な部屋。室内に私が踏み入れると埃が舞い、どうやら長い年月を誰も踏み入れてない様子だった。なるほどな・・・放棄された場所だったんだ、道理で部外者の私に許可をした訳だ・・・。大学側が私の提示した条件に二つ返事で許可したカラクリが判明し私は嘲笑気味にリュックを降ろした。リュックからキャンプバーナー、お米、タオルを取り出し、日が落ちるまではかなりの時間があるので、私は気象観測所周辺を調べる事にする。気象観測所の周囲は予想通り何もなく、木と土、それに石ばかりで特に目につくものが無く、切り上げて帰ろうとした時、「あれっ?」と思わず私は呟く。私は視線の先にある見覚えがあるものに小走りで近づく。やはり・・・手押しポンプ式の井戸だ、問題は今も使えるのか?。私は意を決して手押し式ポンプを上下に動かす。すると、勢いよく水が出て、触れるとヒンヤリと山水ならではの冷たさ。この井戸は生きている・・・。「これは予想してなかったw、これで水の心配はないな!」と私は汗まみれの顔を洗う。真夏で火照った顔が急速に冷やされてこの上なく気持ち良く、最後は水を口に含みゆすいだ。この水を直で飲む勇気は無い、後で湯煎して飲もう・・・。それから私は、気象観測所の中にあった金属製のバケツを拝借し、着ていた登山服を脱ぐ。他の登山者の目を気にしたが、台風接近間近の時に登山をする人は私ぐらいと判断。バケツに貯めた水で着ていた登山服を軽く水でゆすぎ絞ると、今度は頭から水を被る。あまりの冷たさに、「ひゃっ!、ひゃ」と声が勝手でた。流石にやり過ぎたかと猛省しつつ、私は服を着て日当たりが良い場所で立った。山頂とは言え近年の真夏の気温の高さであっという間に服は渇く。私は異常気象に感謝しつつ晩御飯の用意に取り掛かった。

 

 日が落ちて、辺りは真っ暗になり、私が持参してきたキャンプ用ガスバーナーと携帯LEDランタン、それに天空の星々だけが光を放っていた。様々な虫の鳴き声を聞きながらキャンプ用ガスバーナーで米が炊けるのを待つ間、私は上を見上げる。夜空は快晴で星々が美しく輝き、夏の大三角形であるベガ、ネテブ、アルタイルがよく見え、夜空に三角形を手でなぞる。本当に明日の早朝に台風が来るのだろうか?。先ほどスマホで確認したが、間違いなく台風のコースはここを通り過ぎるはず。だが、あまりの静けさに疑念を抱きたくなる。嵐の前の静かさという奴か?、などとと思いながら米が炊ける頃合いと感じ私は飯盒炊飯を確認。蓋を開けると純白に輝く米が立っていて、予め温めていたカレーとレトルトをその上に掛けた。何処の店でも買い求めることが出来るこのレトルトカレーも、この様な山頂で食べると一味違く、プラシーボ効果だとしても得した気分だ。星空を眺めつつ、カレーライスを食して腹が満たされ、人心地に付く。何をする訳でもなく辺りを見回し、父はどの様に台風を待っていたのだろうか?と疑問を抱いた。あの時代、気象観測所は現役なのだから、恐らく関係者以外は使えない。井戸は当時にも存在していたはず・・・、水は確保できても後はどうしていたのだろうか?、テントの中で台風を凌いだのだろうか?、まさか木に自分の体を括りつけていた?、いづれにしてもかなり無謀である。もし、同じ状況だったら私は辞退をするだろう。あれやこれやと考えても父の最後は分からない。私は気分転換にカメラの動作確認がてら星夜景の撮影をする事にした。三脚の足を延ばし、雲台(カメラと三脚を繋ぐ機器)をカメラに装着し、三脚に固定しレンズを装着。ジグマ製、30ー135クリエーションの最大開放であるF値1.2、焦点距離を30ミリに設定する。私はすかさずカメラの背面にある小型液晶に撮影している風景を表示。そして、星空の部分が表示されている箇所の小型液晶に手でタップし、カメラの背面にある沢山のボタンの内、虫メガネマーク、すなわち拡大ボタンを押す。ボタンを押すたびに先ほどタップした部分が拡大され、白くて不鮮明なもの現れる。私は慎重にレンズのピンとリングを回し、白くて不鮮明なものがくっきり像を結び、星の姿を確認すると、カメラの設定画面に切り替えて、露光時(シャッターを開く時間)を7秒、IOS値(カメラ感度、いわゆる暗がりでも写せるようにするデジタル処理)を1500に設定。本来ならレリーズ(カメラのオプション品で、シャッターボタンを触れず遠隔で操作できるもの)でシャッターを切るのが作法だが、テスト撮影なのでカメラ本体のシャッターボタンを押した。7秒後・・・、「カシャッ」と音と共に背面の小型液晶に撮影結果が映る。そこの写されたのは、山々の上に燦然と輝く見事な星々。やはり田舎だと光害が少なくて良い・・・。想像以上の写りに感動を覚え、調子に乗って数枚撮影し、カメラと三脚に問題が無いと確認が出来たので、私はカメラが付いたままの三脚を抱えて気象観測所に戻り、リュックから寝袋を出す。今まで野外キャンプをして、撮影に臨んだ事は何度もあるが、汗臭さで眠れない事が数度あった。でも、今回はその心配がなく、ぐっすり眠れそうだ。気象観測所のボロボロの天井を数分眺めているとウトウトし始め、意識がまどろみ瞳を一回閉じたら、「おい!、起きろ!」と声がした。

 

 私はハッとすると、「ギギギ、ギュギュ、メキメキ」と先ほどまでなかった音がけたたましく鳴っている。いつ間に?と、疑問を感じながらも、私は寝袋から手を出してスマホを見ると、午前6時を表示していた。どうやら熟睡をしてしまった様だ・・・、幸い起きれたからよかったが・・・声がしたのは気のせいか?。不可思議な現象に多少の動揺を感じつつ、私は計画通り撮影のスタンバイをし始めた。予定では早朝の9時ぐらいに龍舞町上空に到達するはず・・・。台風の目がくれば風は収まるから、その隙に撮影開始だ!。私はいつでも三脚を背負っていける様に軽く体をストレッチして、その時に備える。だが・・・、予定の9時になっても、風は収まらず、むしろ強くなり、気象観測所ごと吹き飛ばされのでは?と恐怖に駆られる。もし、地滑りが起きてこの建物ごと流されたら、私は絶対助からない・・・。更に数時間。遂には正午になってしまう。焦りが滲み始めた私は、スマホで確認すると、この土地特有の台風の低速化が今年は例年以上の遅さを記録していると、周辺に警報を発していた。もしかしてあと数時間は釘付けか?と頭によぎった時、ピタリと音が止み、台風の目が上空に来た事を悟った私は急いで三脚を担いで外に出る。外は昨日までの景色とはまるで違い、あちらこちらで木が薙ぎ倒され、地面はドロドロになっていた。しかし、上空の青い空、そして周辺をぐるりと黒い雲と白い雲のコントラストが覆い、時折、走る稲光・・・その神秘的な光景を見れば、大事の前の小事だった。私のはその壮大な光景に目を奪われながらも、あらかじめ決めていた撮影ポンとに急ぐ。頂上の崖っ際である撮影ポイントに着き、意気揚々と三脚を立てて、カメラにレリーズを装着。さあ、撮影開始だと張り切りながら見た目の前の光景に私は愕然となり「あっ・・・」と思わず呟く。目の前には、青いキャンパスにギラギラと太陽が鎮座していたのだ。撮影場所であるこの竜ヶ岳は北側に位置していて、私は丁度、南側を見ている形になる。つまり、逆光ポジションだ。台風の予想外の遅い進行スピードで、正午になったのが原因。本来なら早朝に撮影を開始し、東側からの光、つまりサイド光ポジションで撮影に臨む予定だった。本来なら逆光での撮影は避ける。だが、避けられない状況もあり、その時はカメラの露出の設定(写真の明るさ)を高くするのがセオリー・・・が、それは数メートルから100メートル付近の風景写真で使える技術。今回の様な広大な風景で試みると、明るい箇所が白トビ、つまり明るすぎて真っ白になりデーター上何も無い状態になり、その個所は編集ソフトでも復元できない。ならどうするか?、それは露出設定をアンダーにして、薄暗くするのだ。限りなく薄暗くして、黒トビ、先ほど説明した白トビとは真逆で、暗すぎて真っ黒になる現象が出ないギリギリまで下げて撮影する。そして、仕上げに編集ソフトで露出を上げると、本来は真っ白になる太陽もギラギラとした太陽として写すことが出来るのだ。私はカメラの背面にある小型液晶に表示された、ヒストグラム(撮影対象の明暗、色のバランスを表した簡易グラフ)見ながら数度撮影して確かめた。ギリギリの暗さの限界を見極める作業を急ぎつつ、頭では露出計を持ってくればよかったと後悔の念が渦巻く。遂にギリギリの線を見極め、改めて撮影を開始。連射モードに予め設定していて、私がレリーズのボタンを親指で押し込むと同時に、「カシャシャシャ」と音を出す。私はレリーズを押しながら周囲の雲に注意して、まだ動きが無い事を確認。まだだ、まだだ行ける。出来るだけ様々な角度で撮影するために三脚を動かし、または三脚の足を短くし、撮影する。撮影に夢中になり、周囲の雲の確認を怠っている事に気が付かない私の背中に一陣の風が吹く。背筋にゾクッと悪寒が走り、ヤバいと私は本能的に感じ、三脚を畳み抱えて気象観測所に向かおうとした時、「ゴゴゴゴ」と耳に不快な音が聞こえた。更に間髪入れず豪雨と暴風が吹き荒れて視界が全く効かなくなる。私は屈み風からなるべく避けようと試みたが、全く身動きできない状態になり、窮地に立たされた。半歩、半歩と少しづつ気象観測所に向かう私。このままでは埒が明かないと感じ中腰にしようと力んだ体を緩めると、口では言い表せない音と共に、今までとは比べようがない風が下から吹き上げた。私は宙に舞い、先程撮影した崖っ際を超え、視界に移るものが何もかもがスローモーションで流れる。自身の足がバタバタと無意識に何かに着地しようとしている様に滑稽さを感じ、ああ・・・これは助からないな・・・と観念の想いが湧きだした。父もこんな感じで吹き飛ばされたのだろうか?、親子二代にわたって行方不明とはとんだお笑い草だ。私は目を閉じて、数秒後に来るその時に備えて覚悟を決めた。

 

 目を閉じ数秒、走馬灯を見る訳でもなく、どれ位の痛さなのか?と呑気な事を考えていた時、背中に凄まじい風と衝撃が走る。数度の衝撃を受けて、もみくちゃにされ口に泥水が侵入。反射的に私は嘔吐して吐き出し、目を開けると台風の雨風でドロドロになった地面が見えた。相変わらずの暴風の中、辺りを目を凝らすと、薄っすらと気象観測所のシルエットが数メートル先にあり、私は匍匐しながらそこを目指して進む。激しい稲光と暴風、そして豪雨の中、ようやくドアの目の前に到達した私は、ドアノブにしがみつく様に立ち上がり急いで中に入った。真っ暗な室内に、私から滴る水の音がやけに大きく聞こえる。生きている・・・、吹き飛ばされたのは気のせいか?。未だに生きている事に自覚が持てない私はその場にへたり込む。何も無い正面をじっと眺め、自身の片手にしっかりと抱えられた三脚とカメラの存在に気が付き、私はそれを見た。三脚は泥でドロドロ、もはやメーカーにオーバーホールをして清掃してもらわないと無理だ。いや、買い替えた方が良いと言われのがオチだな。カメラの方は反応はしない・・・、中のSDカードが無事だと良いが・・・。私は三脚からカメラを外し、SDカード状態を確かめた。カメラのサイドにある記憶媒体用のスロットが格納されている蓋を押す。すると、「カチッ」と音を鳴らし蓋が開く。泥水の侵入は無く見た目では何ともなさそうだ・・・。SDカードを取り出しリュックにしまい込み、私はため息とともに天井を仰ぐ。撮影前までは恐怖した台風が起こす音が今ではまるで気にならない。達観したという奴なのだろうか?、まあ、どうでもいい・・・。放心状態で数時間後、風が止み窓から光が射しこむ。私はよろよろと立ち上がり、外に出ると青空が広がり、冷たい風に身震いをした。取り敢えずこのドロドロの体をどうにかしたい・・・。私はよろよろと手押しポンプ式の井戸に向かいい、数度ポンプを上下往復させ、出てきた水に頭を突っ込んだ。髪や耳に侵入した泥が流され、額や頬を伝わるのがよく分かる。最後は口をゆすぎ、水を思いっきり飲みこむ。生水だと思うが、もう気にしてられない・・・。「ぷっはー!」と豪快に声を上げ、ようやくこの時点で生きていると自覚が出来た。台風が過ぎ去った麓の龍舞町を見下ろしながら、私はふと旅館職員の約束を思い出す。小走りで気象観測所の中に置いてあるリュックからスマホを取り出し電話を掛けた。数回のコールの後、「あっ、桜井さん!?、無事ですか?」と焦った声。私は静かに落ち着いた声で「ええ、何とか大丈夫です、これから下山をします、麓に付いたらもう一度そちらに連絡をしますよ」と返す。旅館職員は、「分かりました、気を付けて下さい!、台風の後は危険ですから」と忠告をする。私は電話越しの相手に頷き、「はい、分かっています、じゃあ、後ほど」と手短に答えて通話を終了させた。ふうと、ため気を付き、一応、持ってきた着替えの登山服と未使用のタオルをリュックから取り出し、気象観測所のバケツを再び拝借し、手押し式ポンプの井戸の前に行く。ドロドロの登山服を脱ぎ捨て、汲んだ水を頭からかぶり体の泥水を洗い流す。ついでにバケツで軽く服をゆすぎ、水を絞ってバケツの水を捨てようとした時、そこに光るものがあり、私は手を入れて取り出して見た。それはとても大きい鱗だった。鯉?、いやもっと大きい・・・、海から運ばれてきたのだろうか?。私はこれも何かの縁だと思い、軽くゆすいだ登山服の上に置き、体をタオルで拭いて着替えた。鱗をリュックのポケットに入れて、サッパリして気分も大分良くなったので、食欲が沸き携帯食料をリュックから取り出し、ガスバーナーでホットコーヒーを淹れる。淹れたコーヒーをすすり、携帯食料であるクッキー生地をかじると、チョコとピーナッツや何かのタネが口の中まろやかな味が染み出し、「ポリポリ」と小気味いい音を鳴らす。人生史上、携帯食料を食べた中で一番美味く感じ、「美味い!」と私は思わず声を出して笑ってしまった。 ここに来て体を動かすとあちらこちらで鈍痛が起きて、やや不調ではあったが、日が暮れる前に下山をするべく、来た道を引き返す事にする。

 

 ドロドロの山道を慎重に降りてゆくと、私の目の前に、無数の藁が散乱している箇所が現れる。私はその藁を注意深く観察し、「これは・・・、人柱供養(ひとばしらくよう)?」と呟く。藁は人を模した頭と足で、間違いなく龍舞町の屋根に括りつけてあったものであった。ただ、不思議なのは胴体が一つもなく、中身の米や果物が一つも散乱しておらず見つからない感じは、大きな生き物がはらわたを食いちぎって丸のみをした様相。その様子に私は龍を思い浮かべ、大きな鱗が入っているリュックのサイドポケットに触れる。まさか本当に龍がいるのか?、いやいや、たまたま台風に飛ばされて一か所に集まっただけで、お米や果物は豪雨で麓に流されたのだろう。私は無理やり自分を納得させた。人柱供養が散乱している山道を通り抜け、何事もなく進むこと数分。今度は激しい水の流れる音がする。音がする震源地に到達すると、目の前には激しい濁流を起こしている川が現れた。昨日の登山中に見た、登山道を横切る様に積まれた岩や小石が麓の方まで伸びていた枯れた川の場所だ。やはり予想していた通り、台風などの天気が崩れて雨が降ると出来る川だった。だが、この濁流は予想外だ。私は何とか渡れる箇所が無いものかと見渡す。少し下ったところに大きな岩が数珠繋ぎで向う岸迄続いていて、危険だが飛び移って行ける感じがした。登山道から外れて下り、大きな岩の目の前まで着くと、濁流が比較的に緩やかな場所で登山靴を片方づつ入れて、気休めではあるが靴底の泥を落とす。泥を落とせた事を確認した私は、意を決して数珠繋ぎの岩にタイミングを計り、「はっ、ほっ、よっ」と飛び移る。濁流の真ん中まで到達すると、私は濁流の流れる方を見た。茶色く濁った水は恐ろしい速さで流れ、所々には木々や大木が絡まって集まっている。もし落ちれば助からないと確信した。私はゴクリと生唾を飲み込み、濁流の水しぶきを浴びながら再び岩から岩に飛び移った。一つまた一つと慎重に飛び移り、あと一つ、飛び移れば対岸に着く所まで来る。対岸の地面を見ると妙な安心感が私の心に安堵させ、最後は軽い気持ちで飛び移ると、ズルっと着地した片足が滑り、「うおっ!!」と私は声上げながら岩にしがみつく。幸い落ちず、九死に一生を得て、対岸の地面に着地すると、へなへなと座り込んだ。「はあ、はあ、今のは危なかった・・・、ここまで来て死んだら悔いても悔い切れない・・・」と私は呼吸を乱しながら呟く。数分程、へたり込み、息が整い気持ちが落ち着いて来るのを感じた私は、登山道に戻り再び下山を開始。ここからは呆気にとられるほど、何事もなく進み、麓まであと少しの所まで来た。ここまで来ると、来た時とあまり変わらず、山道がドロドロ以外、何も変化が無い。軽い足取りで気分は高揚し、、景色を楽しみながら歩く私の前に、昨日祈願したお地蔵さんが現れる。私は立ち止まりここまで無事着た事を感謝しながら手を合わせ、更に下山すると登山道入り口が見えた。私は登山道入り口を見つめながら歩き、良かった・・・、無事下山が出来た・・・、後はデーターが安否だ・・・と考えながら登山道入り口に踏み込んだ。すると、「あっ!、桜井さん!、大丈夫ですか!」と聞き覚えがある声。私は咄嗟に声がする方を見ると、そこには私が宿泊している旅館職員だった。私は微笑みながら、「はい、一応生きて帰れました」と言う。旅館職員は苦笑しながら、「もう!、言ってくださいよ!、桜井さんは数年前に竜ヶ岳で行方衣不明になった方の息子さんなんですよね?、お母さん・・・じゃなかった、女将さんに無茶苦茶怒られたんですよ!、何で行かせた!?って」と捲し立てる。私は頭をポリポリとかいながら、「はあ・・・、すいません、余計な事を言うと、止められそうな気がして・・・」と自信を擁護した。旅館職員は、「まあ、無事帰ってきたから良いですけど・・・」と私の言い訳を渋々受け入れると、ぬっと顔が真っ赤な老人がどこからともなく現れて、「だから大丈夫と言ったじゃろ!、龍神様は同じ家から一人以上は奪わないんじゃ!」と言う。旅館職員は焦りながら、「ちょっ、じいちゃん!、大人しく車で待っててよ!」と顔が真っ赤な老人の手を取る。旅館職員と老人のやり取りを見て私はすかさず、「その方は?」と尋ねた。旅館職員は老人の手を引っ張りながら、「私の祖父ですw、街の寄り合いの帰りなんですよ、そのついでに登山道に様子を見に来たんです」と答える。何だついでか・・・。先ほどの心配をしている言動で私は感激してしまったのだが、その言葉に数段トーンダウンした。孫に手を引かれ、車に押し込められながら、顔を赤くした老人は、「おい、若いの!、生還記念じゃ、今日は宴じゃ!、さあ乗れ!」と言い車に入る。私は、「生還記念?、何ですか?」と旅館職員に尋ねた。旅館職員は顔を引きつり、「酔っぱらいの事ですから気にしないでください・・・、桜井さんも車に乗ってください」と旅館の名前が記された軽ワゴンの助手席を指し示す。私は素直に従い、リュックを荷台に置き、助手席のドアを開けると、旅館職員が焦りながら、「あっ、ちょっと待って下さい」と言う。私は彼の制止に従い待つ。すると、車の後ろに行き何やら乳白色の業務用ごみ袋を持ってきた。そして、旅館職員はごみ袋の一部に穴を開けて、助手席のヘッドレストに穴を通し座席の上にごみ袋が引かれる形になった。なるほど・・・これなら汗まみれの状態でも気が値く座れる。旅館職員は、「どうぞ」と助手席に乗る様に促し、私は感心しながら乗る。車で遠出による撮影時、汗まみれになったら、これを真似しようと思ったが、旅館への道中で旅館職員がブレーキを踏む度にごみ袋に面している私のお尻は滑り座席からずれ落ちそうになり、やっぱり止めようと思い直した。後部座席から酔っ払い老人の戯言を聞きながらようやく旅館に着くと、女将さんが出迎え、矢継ぎ早に質問をしてきて、私はその一つ一つを丁寧に答える。女将さんの言葉使いはもはやお客に対しての言葉ではなく、親戚に掛ける言葉だったが、何故かそれが私は嬉しかった。私の噂は瞬く間に龍舞町に広がり、滞在期間中は街のどこへ行っても町民は私を歓迎し、撮影中の話を聞かせてくれとねだる。少し億劫だったが、話をすると大喜びをしてくて、悪い気はしなかった。滞在期間が終わり、都内の自宅に帰ると私は早速パソコンのにSDカードを読み込ませる。見た目では何も問題は無かった・・・、恐らく大丈夫の筈。私は祈るような気持ちでパソコンの画面を凝視する。数秒後、編集ソフト上に写真データーが連続で表示され、私は安どのため息を付いた。

 

 羅列された写真データにはrawと表示されている。これは写真の記録形式で、カメラでありのままの被写体のデータを撮影、記録する方式である。俗にraw撮影と言い、通常のjpg撮影より編集の幅が広く、ホワイトバラスから露出の明るさ、彩度、などをかなり自由度が高く任意に変えられる。フィルム撮影などの銀塩愛好家はこのデジタルならではのraw撮影には否定的かつ懐疑的。一発撮りが本来の写真と言う彼らからすると、インチキと感じるも無理はない。私は羅列する台風の目を一枚一枚吟味し、数枚に絞り編集作業に入る。まずは露出だ、太陽を浮き出すために、薄暗いアンダー気味になっている写真を、編集ソフトの露出のバランスバーを弄り明るくさせるのだ。少しづつ、少しづつ、露出を足しながら編集ソフトのヒストグラムを注意深く見た。色トビ、白トビ、黒トビ、それらが起きないギリギリまで明るくして、遂にギラギラ太陽が私の前に現れた。「おお・・・」と思わず感嘆の声を漏らす私。太陽も現れた、次はホワイトバランス調整だ。一般の写真撮影者はメーカーが定めたホワイトバランスを使う。しかし、プロとなれば己のホワイトバランスを持っていて、それが持ち味になり世界に一つの写真に昇華される。私は今まで経験で培われた最適な数値を即座に叩きだし、写真に私のホワイトバランスが染められた。後は細かい調整をして、完成させるため、プロとしての知識を総動員する。数時間後、遂に完成させた・・・、龍舞町の真上には青空の中に太陽が輝き、その周辺にある台風の雲は、白と黒の濃淡の中に稲妻が見えた。神秘的な光景・・・龍が舞っている、この世の風景とはとても思えない。ここでようやく私は、遂に撮れたと自覚が持てた。それから数日後、現像した写真をファイルに収めて、鈴鹿画廊に向かう。私には推し量ることが出来ない高価そうな調度品が並ぶ個人オフィスで、鈴鹿画廊のマネージャーである清水さんが真剣目だ私の写真を吟味していた。一枚、一枚と、実際には数分程度のペースで見ていたが、私の体感では数十分も感じ、緊張で味が分からないコーヒーを何口目かを口にして、まるで裁判所で己の刑の判決を待つ被告人状態。最後のページ、台風の目の写真、そこで清水さんの表情が変わり、今まで以上に食い入るように見始めた。今まで以上に入念に見てファイルを閉じた清水さんは、「桜井さん!、素晴らしい写真ですよ、是非、当画廊で個人展を開催しましょう!、いや!、お願いします!」と握手を求めて来る。私はその手を握り、「こちらこそ、よろしくお願いします!」と強く握り返した。「長らくお待たせしました、踏切の故障が解消されましたので、当駅発の電車は出発いたしますのでご利用の御乗客の皆さまはは最寄りのホームにお向かい下さい、この度は申し訳ありませんでした」と駅のアナウンスの声で私はハッとなる。私は席から立ち上がり、いそいそとそれぞれの目的地に行くホームに向かう乗客にを眺めながら思いふける。父の背中を追う様に写真の道に入り、気が付くとその背中を超えて前にいってしまった・・・、これからは父が知らない未知の世界・・・、不安もあるが突き進もう・・・、これが亡き父への親孝行になるのだから。私は手を強く握りしめ、新たな決意を胸に乗客たちの列に向かった。

 

ーおわりー

 

357曲目の紹介

 

 

 今回ご紹介する曲は、作詞作曲・編曲をFtyさん、イラストをmerさん、映像を302さんたちによる機械仕掛けのテラリウムです。

 

 

 蒸気が支配し、それらから生み出される煙は、空を覆い太陽の光を遮り、毒雨が降り注ぎ人々の体を蝕み、延命するために一部を機械化をした。そんな世界で少女は望む、温室から見上げると青空を望める楽園を・・・、叶うのなら喜んで毒雨を浴びて、枯れた大地に帰ろう

 

 本曲は民族調の音楽でディストピアな世界を紡ぐ歌を星界さんが歌います。

 

 本曲の題名、機械仕掛けのテラリウムは、曲中に保護された半機械の少女を表した題名だと思いました。

 


www.youtube.com

 

 物語が紡がれている本曲は、考察好きの自分にとって大好物ですねw。ディストピアな世界観はあれやこれやとそそられる妄想に捗り、映像化しないかな?って思わず考えてしましますw。

 

 本曲、機械仕掛けのテラリウムは、明確な世界感を背景とした物語を民族調な曲で紡ぎ、聴き手に壮大な世界が思い浮かべさせ、映画を一本見た感じと似た感覚に陥る素晴らしい曲ですので、是非、本動画を視聴して聴いてみて下さい。

 

お借りしたMMD 

Tda様より

Tda初音ミクV4XVer1.00

 

ニコニコ大百科様より

 

星界